カタカムナ文献は、日本の上古代(約3万年前:中国 神農の時代:今から5000年前)に存在した言語が記載された巻物である。注記)縄文時代は、2万年以上続いて高度な文明があったことが、次第に明らかになっています。
魯有三は、「日本の上古代に、アシア族という種族が存在し、八鏡の文字を使い、特殊の鉄をつくり、高度の文明を持っていた。それが、神農氏らによって伝えられてシナの文化のもとにもなったと、秘かに伝承されている」と皐月に語っていたのである。
カタカムナ文明(カタカムナぶんめい)は先史時代の日本に存在したとされる文明。
概要[]
縄文時代以前、旧石器時代末期に存在したとされる。極めて高度な科学技術や独自の哲学体系を持っていたことが、神代文字であるカタカムナ文字で記された「カタカムナ文献」から推測されるが、現在においてこの文明の存在を示す建造物や遺物は、この文献以外には見つかっていない。日本で初めてカタカムナ文明の存在を唱えたのは楢崎皐月(ならさきさつき)である。楢崎は5年をかけてこの文書(通称「カタカムナ文献」)の解読に成功。その内容が自然科学的な実用書であった事を突き止めた。この文字はそれが祀られていたとされる神社の名から「カタカムナ文字」と呼ばれ、その文字を使用していた文明として「カタカムナ文明」が提唱された。
カタカムナ文献[]
「カタカムナ文明」の実在を示しているとされる書物である。略称「カタカムナ」。異称『神名歌集』、『カタカムナのウタヒ』、『平十字文献』。化美津文字(かみつもじ。「カタカムナ文字」ともいう)によって記されている。原本は所在不明の神社「カタカムナ神社」の御神体であるとされており、江戸時代に作成された巻物であるとされる。文中に「アシアトウアン ウツシマツル」という言葉があることから、この「アシアトウアン」という人物が写本を作成した可能性が高いともいわれる。またその語感から蘆屋道満との関係を主張する人もいる。
内容は全てカタカムナ文字で構成された詩歌の形で書かれており、生命の本質や宇宙全体の構成について記されているという。
発見の経緯[]
科学技術者の楢崎皐月が植物波農法の研究中に出会った、父が「カタカムナ神社の宮司」と名乗る、平十字(ひらとうじ)が所持する文献により発見したとされる。
楢崎によれば、1949年、兵庫県六甲山系の金鳥山中での地質調査中に、父が「カタカムナ神社の宮司」であったと名乗る平十字という猟師と出会い、その神社の御神体である巻物を見せてもらったという。そこに書かれていたのは円と直線で作られた幾何学的な文字であった。これが貴重な文献であると直感した楢崎は、平十字に書写を願い出た。平十字は快諾し、楢崎は研究用に持っていた大学ノートにその文字を全て写し取ったという。その文章量は一日で写し終わるようなものではなく、それから20日間、楢崎のところへ巻物を手に平十字が毎日通ったという。楢崎はそれまで度々実家に葉書を送って安否を知らせていたが、このときは一ヶ月間葉書をよこさなかったと楢崎の娘は述懐している。
カタカムナ文字[]
カタカムナ文明において使用されていたとされる文字。正しくは「化美津文字」(かみつもじ)という。カタカムナ文献はこの文字で記述されている。
中央に「ヤタノカカミ」と呼ばれる図章が記される事から、別名八鏡文字(はっきょうもじ)ともいう。
特徴[]
- いわゆる神代文字であるが、他の神代文字に草書体のような曲線形が多いのに対し、カタカムナ文字は幾何学的な円と直線からのみ成り立っている。
- 一般的な神代文字が右から左へ縦書きされるのに対し、カタカムナ文字は時計回りで渦巻状に記され、中央から読み進める。このため複雑な文章は書けず、カタカムナ文献は全て簡潔な歌で表されている。
- 濁点や半濁点、小さいァやッなどの小書き文字は存在しない。
- 渦巻きの中央にはそれぞれ「ヤタノカカミ」「フトマニ」「ミクマリ」と呼ばれる図章が記されている。
- 二文字あるいは三文字が重なり合って一文字の新しい字形を作る。
植物波農法[]
植物波農法研究家の山野井昇によれば、楢崎皐月が名づけた「植物波農法」とは実は「マイナスイオン農法」なのだという[1]。
脚注[]
- ↑ 山野井昇『マイナスイオンの健康学』 サンロード、1995年11月、ISBN 4-914986-39-6
参考文献[]
- 阿基米得『謎のカタカムナ文明』 徳間書店、1981年5月、ISBN 4-195-52245-5
- 深野一幸『超科学書「カタカムナ」の謎』 廣済堂出版、1993年4月、ISBN 4-331-00605-0
- 「相似象」会誌、相似象学会
関連項目[]
- 超古代文明
- 神代文字
- 古史古伝
- 片神名〜喪われた因果律〜 - カタカムナ文明をモチーフとして作られた家庭用ゲーム。作中にカタカムナ文字やカタカムナ文献が登場する。
外部リンク[]
- 土蜘蛛正統派・カタカムナ研究記
- 楢崎研究所 楢崎皐月 経歴
- 神代文字総覧
- カタカムナ文字フォント Vector
- 中国 神農の時代
- 中国の時代区分 中国 神農の時代 BC3000? 三皇(伏義・神農・黄帝)の時代
- 神農 中国神話です。共工は神農の眷属(一族?)だという伝承を聞いた。!
- 神農の姓は姜姓で、春秋左氏伝の杜甫の注に、共工は神農の前、大皡の後にありとある。共工(水徳)の治世のあと、火徳の神農の時代になったと見られる記述である。『史記』三皇本紀には、神農は姜水のほとりの生まれで、後に陳に都をおき、のちに曲阜へ移ったと記述がある。
- 神農 中国神話です。共工は神農の眷属(一族?)だという伝承を聞いたのですが。
- 神農本草経 (しんのうほんぞうきょう) ~2,000年前に完成の域にあった中国医学~
- 中国史人物事典~伝説時代
- [1] 不二を知らず 紀元前200年頃、秦の始皇帝は徐福という男に、東海の三山に不老不死の薬があるというから取って来いと命じた。東海の三山、日本に向った。徐福は石花湖畔に住み着いた中国人は自分たちが最初ではないことを知った。それは、中国古伝説上の神農の時代に日本に渡来し、石花湖畔に住み着いて農業と機織を教えた先祖たちが居たのである。